今の時代のものと何かが決定的に今と違うと感じたのですが、それはおそらく制作者をとりまく自然との関わりの濃度なのかもしれないと思いました。季節のうつろいを肌で感じ、旬の野菜を食べる。鑑賞するだけの高価なものではなく暮らしのための器や衣服。生活のなかにすんなりと溶け込む芸術。 現代は効率を重視されますが、まだこの時代には効率ではなく魂の欲求に従ってものづくりをすることが出来ていたのかもしれません。
西館の窓から外を見ると、そこには木々があるだけの庭が。自然があることでなにか自然との対話が日常的にあったんだろうな。 季節のうつろいを繊細に感じ取って、作品に反映されていたんじゃないかな。